教室レポート

「安藤忠雄 展 青春」に足を運んで

 陶芸を仕事とするようになって、建築と関わる機会はほとんどなくなりました。約42年前の話なのですが、それ以降アート作品を展示している施設としての建築という意味では訪れていますが、積極的に観察しているわけではありません。しかし、今振り返ってみて頭に残っている場所の多くが安藤忠雄建築であることに気づきました。

 2025年3月20日(火)~7月21日(月)、大阪駅の北に隣接するVS.グラングリーン大阪にて「安藤忠雄展 青春」が開かれています。この展覧会のことは6月2日に母校の後輩の方からメールを頂き、初めて知りました。11日に、私が院生の頃助手で大学にやってこられた(後に学長になられた)F先生が現在在学の若い先生とトークをされるという内容で、会場を満席にしたいという気持ちが綴られていました。何十年ぶりにF先生にお会いしたいし、安藤さんのお顔を拝見するのも最後になるのではないかという思いが頭を過りました。早速、申込みをオンライン決済で行いました。当日はQRコードを受付で提示するだけという手順ですが、初めての利用というのは時間がかかるものです。新型コロナが大流行の時も美術館の入場で採用されていた方法ですが、その間美術館を訪れることはありませんでした。さて、当日会場は大盛況で、最初安藤さんが2~30分間いろいろな話題で話をされました。安藤事務所の仕事の85%は海外の仕事である現状や稼いだお金で全国に「こども本の森」を寄贈していること(そういえば地元の番組で、こども図書館船ほんのもり号の就航を放映していたことを思い出しました)など次々に語られ、時間がいくらあっても足りないですが、安藤さんの今の思いを吐き出されたのでしょう。幾度か口にされた「もう終わってるデー」が印象的でしたが、ご本人は今青春真っただ中なのでしょうか。この後、当初予定のトークとなり、F先生が安藤さんとの出会いから話し始められ、人間としての安藤さんの背景などを語られていましたが、予定していた時刻になったため話も途中で閉会となってしまいました。実物の安藤さんが84歳を前にまだまだパワフルであることだけは明らかになりました。その後、会場の作品展示を拝見したのですが、すごい量の作品を作り続けていること、どの図面や模型も美しいこと、私の見覚えのある作品は初期に属することなどを思い知らされました。当時話題となった北海道にある「水の教会」が原寸で会場内に設えられ、長椅子に座って眺める光景は現地に足を運んでいない者としては圧巻でした。また眼を止めたコーナーはその多くを拝見した直島の建築群ですが、その前にこれまで訪れた安藤建築を足を運んだ順に紹介していきます。 

1984年に京都三条高瀬川沿いに竣工した「TIME’S Ⅰ」を三条通りを歩いていて気付いたのが最初でしょうか。学生の時、友人が三条小橋の一本南の橋を小走りに渡ったところ、橋の横からそのまま高瀬川にダイビング。少し付け加えておきますと夜で暗く洋酒を飲んだ後のことでした。道の高さですから川底まではちょっとした高さがあります。それに比べて「TIME’S」の通路は水面に近くすぐに川に入れそうです。いつもは水深10cmぐらいですが、大雨の時でも水位がそんなに上がらないのだろうかと心配になりました。その後1989年に、大阪の「ガレリア・アッカ」を訪ねました。これはわざわざ探して行った所で、当時大阪の有名画廊だったカサハラ画廊がこの建物を会場にイサム・ノグチ展を開催していたのです。石彫ではなく金属作品で、コンクリートの壁に囲まれた無機質な空間に馴染んでいるように思いました。同じ年にこれは建物ではないのですが、英国の陶芸家ルゥーシー・リィー展が草月会館と大阪市立東洋陶磁美術館で開催され安藤さんが会場構成をされました。水を張った中に作品を島のように並べるというユニークな展示で、ガラス越しではないという点では良いのですが作品の周りを詳しく見るには少し遠すぎました。しかしこの空間構成は先ほど述べた「水の教会」にも通じる水面と物体や環境という安藤建築の構成要素と同じものになっています。1992年頃には地元に帰った私もいろいろな作家の方と出会う機会を頂き、当時ベネッセコーポレーションで美術セクションチーフをされていた秋元雄史(後に金沢21世紀美術館館長、東京藝術大学大学美術館館長になられる)さんを本社に訪ねました。その時直島のことを教えて頂き、初めて「ベネッセハウスミュージアム」を訪れることになりました。当時はまだボランティアを募集したり、宮浦港からのマイクロバスを運転していた方も知人でした。施設そのものもプライベートでアットホームな感じで、展示作品は世界的に活躍する現代美術作家、例えば柳幸典、リチャード・ロング、ルイーズ・ネヴェルソン、杉本博司をはじめまだ何人もの作品がありましたが、手で触れることのできる距離に置いてあり感動的でした。館内には人影がほとんどなく、長い時間一人でいることができました。「ベネッセハウス」では忘れられない体験があります。翌年の1993年に草月流の勅使河原宏家元がベネッセハウス周辺で竹のインスタレーションをされています。この時、草月流の私の知人Tさんが制作の手伝いに誘ってくださったのです。Tさんのお陰で草月流会員ではない私は特別に扱って頂き、ベネッセハウスのテラス部分に設けられた茶室の制作を手伝わさせて頂きました。家元が間近かで見ておられ、また写真家の安斎重男さんもカメラを持って周辺を行き来していました。この時の茶室ではお抹茶を頂いておりませんが、1997年に広島市現代美術館で開かれた「勅使河原宏展」で設えられた茶室では頂きました。今回はここまでにしておきます。