「金重陶陽と加守田章二」展をみて
初めて井原市にある華鴒大塚美術館(はなとりおおつかびじゅつかん)に行ってきました。12月1日(日)まで開催の「金重陶陽と加守田章二 土味、造形、そして美 S&Kコレクションより」を観覧するためです。井原線高屋駅の南側道向かいに位置し、落ち着いた佇まいの美術館です。開館は1994(平成6)年で、井原・福山地域を拠点にしているタカヤグループの三代目社長故大塚長六氏がグループ創業100周年を記念して発案、収蔵品は神辺町出身の日本画家金島桂華の作品を主体に約600点を所蔵しています。名前のいわれは、1894(明治27)年創業の大中屋から高屋織物へ受け継がれ、その時生産していた錦織物・備中小倉織の商標「華鴒印(かれいじるし)」から採用しています。ロビーに入ると手入れの行き届いた日本庭園が望めます。
さて、地元陶陽先生については申し上げることはございません。今回お目当ての加守田章二(1933-1983)についてですが、私が昭和に名を残す陶芸家を挙げるとすれば戦後走泥社を牽引した八木一夫と加守田両先生だと思っています。他にも独創的な仕事をされた多くの陶芸家がおられますが。私が加守田先生を知ったのは陶芸に興味を持ち始めた44年ぐらい前で先生が亡くなられる2,3年前になります。今でこそ何でもありの陶芸界ですが、当時伝統工芸以外では先程の走泥社、日展の工芸、それにいくつかの大学に先生方がおられる程度の状況だったのです。その中で次々に独創的な仕事をされていたのが加守田先生です。残念ながら50歳を前に夭折されています。最初はロクロを使った須恵器風な作品を作っていますが、口を薄造りにして以後の作品にも続く加守田スタイルが現れています。1968~69年ごろ、土の表情が生かされ、幾何学的な形体も作られた、炻器と名付けられる作品が、今回食器も含め数点出品されています。1970年になると作られる曲線彫文、それから1971年から73年にかけての様々な色彩に彩られた彩陶や抽象文の作品は残念ながら欠落しています。この頃から始まり74年にかけての刻線文、この時期の作品がチラシ、ポスターに使用されています。同じ74年の象嵌壺に75年春発表の白地の線に朱色の鮮やかな壺は今回目を引きます。秋には青釉に変わり、それが今回出品の76年の作品へとつながります。この頃から先生独特の口、高台の形が出てきますが77年の出品作にも現れています。今回出品はありませんが黒釉の時期を経て79年まで展開していく縞文の作品になり、今回も多様な作品が出品されています。そして80年の菱形文になり皿が出品されています。
いろいろと加守田先生の作風の変遷を語ってきました。何年の作品という言い方をしてきましたが、先生の形はすべて用を持ったもので、壺や皿などとだけ称されています。ここで思い出されるのが私が2002年岡山のギャラリーで個展をした時、挨拶文の中で「1971年、加守田章二は個展で私の作品は外見は陶器の形をしていますが、中身は別ものですと、いっています」と記していたことです。今回の展覧会はS&Kコレクションからと副題がついています。1977年に関西以西では初めて岡山のデパートで個展が開催され、78年~80年まで同じところでグループ展が開かれています。岡山ではあまり紹介されてこなかった作家なのに、これだけの作品を岡山で拝見させて頂けたことに感謝申し上げます。