教室レポート

庭の作品 その8

前回は守一の絵に対する制作姿勢の一端を垣間見たわけですが、今回は絵というものがどのような意味を持つのか、もう少し根本的な問題について語っています。『庭の作品 その4』で既に書きましたが、別の言い方で「絵にもはやりがあって、その時の群集心理で流行りに合ったものはよく見えるらしいんですね。新しいものが出来るという点では認めるにしてもそのものの価値とはちがう。やっぱり自分を出すより手はないのです。何故なら自分は生まれかわれない限り自分の中に居るのだから。」と言い、また「ある人が、わたしが十月からあくる年の五月まで油絵の仕事を休むのを、熊谷守一の冬眠といいました。五十坪ほどの狭い庭に作った腰掛を、その人は天狗の腰掛け十四ヶ所といったんです。その方が世の中に受けがいい。世間の方はそれを面白がって受け入れた。わたしはそういう冗談は嫌いだし、気のきいたいい方は好きではありません。絵なんてものはいくら気をきかして描いたって、たいしたものではありません。その場所に自分がいて、はじめてわたしの絵ができるのです。いくら気ばって描いたって、そこに本人がいなければ意味がない。絵なんていうものはもっと違った次元でできるのです。」と言い、ものを表現する行為は自分を出して自分を生かすしかないと考えているのです。そのためにサインや判についても、「学校で稽古した時分にも、漢字で熊谷守一と書くときはみんなによくわかるからで、少し自分の気に入ったのは片仮名で、もう少し気に入るとサインはしないんです。わたしの画集に出ているのでもサインのないのが二、三点あります。それが一番いやじゃなかった絵です。サインや判なんかない方が一番さっぱりしています。誰が描こうがよいものはいい。判なんて押さなくたってよいものはいい。まあ、サインがないとあとでわかりにくくなりますけれどね。」と絵には形だけの権威づけは必要ないと言っています。少し横道にそれますが、「いま持っている判子は九個で全部です。九個あって、十個に使っています。(印肉の蓋で押した輪の中に判を押すことによって10通りに使っている)この判子の中には気に入ったものに押すのと、そうでないのに押す判子とがありますが、どれが気に入ったもので、どれが気に入らない判子かということはいえません。」と判子を使い分けているようで、実際の絵を比べて見てみたいものです。守一は1904年(明治37)7月4日に東京美術学校西洋画科撰科を首席で卒業しているにもかかわらず、昭和十二,三年頃から日本画もやっていて「色がなくても十分色を感じるところは色は塗らないんです。でも色をつけてくれという人は多いですね。面倒だから頼まれれば色をつけますが、わたしは好きじゃない。絵には色がない方が上品です。もっといえば白いキャンバス、白いままの紙の方が何か描いたものよりはずっとさっぱりして綺麗です。それよりよくはできないです。そこが凡人のかなしさで、何か描いたり、塗ったりする。ばかばかしいことですね。」と絵を描く行為について否定し、「人間というものは、かわいそうなものです。絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、でき上がったものは大概アホらしい。どんな価値があるのかと思います。しかし人は、その価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間はかわいそうなものです。」と絵の価値まで否定しています。このような守一がどんな生き方を望んだのかは次回にします。さて、写真には手前にツワブキの黄色い花が咲き、岩の上に白い大皿が写っています。この磁器の皿は割れていますが、1924年生まれでアメリカ西海岸で活躍した陶芸家ピーター・ヴォーコスに触発されて制作したものです。どこで最初に目にしたのか定かではないのですが、備前のような焼き締めの割れた大皿に心を引きつけられました。大皿と言えば1975年に73歳の近藤悠三先生が有田で直径126cmの梅染付大皿を制作されていますが、ヴォーコスの方は工芸的に完成された作品とは全然異なり、自由奔放な力強さを持っていました。私は当時焼き締めをしていたわけではなかったので、磁土で挑戦してみました。この頃作った直径30数cmの割れていないお皿は、岡山市内で洋菓子店を営む知人のご結婚祝いにお贈りしました。