教室レポート

庭の作品 その9

何回にもわたり熊谷守一のことを書いてきましたが、守一のことをこれ程までに書いてきたのも、求龍堂発行の「熊谷守一画文集 ひとりたのしむ」を知人から戴いたことに始まり、その後探し物で立ち寄った書店で、本棚を目で追っているうちにたまたま目に止まったのが「へたも絵のうち」であり、さらに熊谷関連の書籍を数冊読んだことによります。丁度その頃制作以前の生き方について共鳴できる何かを感じたからでしょうか。守一は東京美術学校卒業後、自活の道を探さねばならないため農商務省樺太調査隊に記録画要員として参加し、その時アイヌにひどく好感を持たれた守一の方もアイヌが非常に好きでした。「彼らは漁師といっても、その日一日分の自分たちと犬の食べる量がとれると、それでやめてしまいます。とった魚は砂浜に投げ出しておいて、あとはひざ小僧をかかえて一列に並んで海の方をぼんやりながめています。なにをするでもなく、みんながみんな、ただぼんやりして海の方をながめている。魚は波打ちぎわに無造作に置いたままで波にさらわれはしないかと、こちらが心配になるくらいです。」これには一人一人皆さんのご感想は異なるでしょうが、1905年当時のお話が今日の複雑さを増した世界情勢や地球規模の環境問題等とも関わっているように思えるのです。同じような姿が守一自身においても伺えます。「何年も前に、垣根の外の道で、工事用に積んであった石の中から拾ってきた石が、何かで落としたときに欠けたのを接着剤でつけておいたのが、この間その接ぎめがはがれてしまいました。・・・今までにこれを見せて、誰一人いいですねといったことがない。鶉の卵をちょっと大きくしたぐらいの軽石みたいな、どうってことない石だからですかね。わたしはそのどうってことのないのがいいんですから、アトリエに置いたり炬燵に持ち込んだりして眺めている。欠けたら欠けたで、欠けない前には見えなかった部分が見えてね。あっちから見たりこっちから見たりして、一日が終わります。」さらに、はっきりと守一は語っています。「わたしは好きで絵を描いているのではないんです。絵を描くより遊んでいるのが一番楽しいんです。石ころ一つ、紙くず一つでも見ていると、全くあきることがありません。火を燃やせば、一日燃やしていても面白い。でもときにはかわったことがしてみたくなります。」絵を描くというのが大変な時期もありました。「子供が病気になって暮らしに困ったときでも、そのために絵を描いて金にかえるということはできませんでした。やる気のあるときに描くだけです。気のないときに描いても何にもなりませんから。そういうときには描きません。」「妻からは何べんも、『絵をかいてください』といわれました。・・・妻の姉なども、『熊谷さんは、あんなに子供をかわいがっているのに、どうして子供のために絵をかいて金をかせごうという気にならないのでしょう』といっていたそうです。たしかにそれは言われる通りなのです。しかし何度もいうようですが、あのころはとても売る絵はかけなかったのです。」こういう生き方をした守一の根底にあるものは何だったのか次回にします。

さて、写真にはこの時期花の咲いていないいくつかの鉢の後ろに白い衝立のようなオブジェが写っています。制作当時、四大元素である火や水といったものに関心があり、流動的で定まった形を持たないこれらのものを何とか表現したいと思っていまして、この作品は流れ落ちる水を形にしたものです。物理的に釉薬を流しそれを定着させようと考え、粘りがあって耐火度もある長石という石の粉末を主にした液体を使用しました。しかしながら焼成することによって固体化の表情が強くなり、流動的な感じが薄れたように思います。その点数年後の1995年、ヴェネツィアビエンナーレで優秀賞に輝いた千住博氏の「The Fall」は落下の雰囲気が十分に伝わってきます。制作行為と表現が見事に一致した作品だと思います。この時の日本館の会場構成は今日非常に勢いのある建築家隈研吾氏が担当し、床に水を張った空間を作り壁面の千住作品と響き合うように考えられたそうです。