教室レポート

庭の作品 その5

熊谷守一のお話をもう少し続けさせて頂きます。1909年守一29歳の時、第3回文展に「蠟燭(ローソク)」と題する、夜じっさいにローソクをともして自分の顔を描いた絵を出品していますが、これを湯澤三千男氏という当時帝大の書生さんが購入されています。その後広島の知事をされている時、「湯沢さんの命令で県庁の役人が案内して厳島まで連れて行ってくれました。絶景を絵にしてくれということなのでしょうが、私は困りました。景色のいいのは、それはそれで結構だが、わたしは描く気になれない。仕方がなく、足元の畑になっていたナスをかいてお茶をにごしました。いっしょに行った土地の絵かきが驚いて、『お前は何をかいているんだ』といいます。絵かきのくせして、見ればわかりそうなものだが、そう聞いていました。」また、二科の研究所にいた書生さんたちや仲間たちと一緒によくスケッチ旅行に出かけています。「しかし、一般にあんまり景色のいいところは私には向きません。広島の厳島でも絵を描く気にはなれませんでしたが、山形の蔵王でも、やっぱりダメでした。描いてはみたが、思うように仕上がらない。むしろ、書生さんたちが『こんなところは二度と来るものか。とても絵にはならん』などと言って怒るような場所が私には合います。」これらのことはつぎのこととつながるかもしれません。展覧会には大作が充満しているものですが、黒田重太郎氏が昔の二科会の頃を回顧して、「毎年秋になると、皆が夏中汗を絞って描いたものを、やっさもっさと搬入する中を、熊谷さん一人は涼しそうに、板っぺら(四号大 24.3×33.4㎝)か六号かを二枚三枚、風呂敷に包むとか、縄にからげるとかして、これが出品の絵です、よろしく頼みますと来る。」と言われています。世の中でこうだと言われていることに縛られることなく、本当に自由に自分の感じるままに行動されています。また他人の評価に従ったり、先入観を持ったりすることなく、対象を見る。存在の平等性を根本に持っているのだと思います。このことは次回に続けます。さて、写真は足元にコバノタツナミソウが群生していますが、これらは鉢植えのものから飛んで行ったと思われます。空中の高い位置に花を生けることのできる花器の足の部分が写っています。太さの異なる2本の足で支えられ、太い方には水も入れられるようにしています。『庭の作品 その1」と同じコンセプトのものですが、塊の本体と足の陶板のバランスが悪く、足が変形してしまいました。やってみるとうまくいかない作品も多くあります。