教室レポート

庭の作品 その3

庭の草を見ていると、前回お話した熊谷守一と少し関わりのある昭和天皇のエピソードが思い出されます。1949年5月守一の所属する第二紀会が第三回の美術団体連合展(東京都美術館)から参加し、初日に来場された天皇陛下が守一の出品していた『伸餅』の絵を「子供の絵か」とお尋ねになり、案内役の宮本三郎が「七十幾つの年寄りの絵です」と答えたそうです。実際は守一69歳なのですが。それはさて置き、私は小学館発行のビッグコミックオリジナルを購読しているのですが、そのお話をする前に前置きが長くなることをお許しください。1998年「山・里に出た美術展」というのが熊山町で開催され出品させて頂いたのですが、開催初日の夜何者かに盗まれまして、以後28日間作品のない展覧会ということになりました。この展覧会が開かれる要因に、自然環境の良い山の中を高速道路が横切る計画が持ち上がり、反対運動が起こったということがあります。そのような場所ですので、部外者に勝手に踏み込んで欲しくないというメッセージを込めて作品を創ろうと思い、この時は94年発行のビッグコミックの「ゴルゴ13」ですが、ある光景を思い出したのです。エボラウイルスを研究している室のドアに描かれたサインなのですが、バイオハザード4という文字と共に道路標識大の大きさで鉄の板にペイントし、会場入り口の道路際に設置したのです。やっと本論に戻ります。今回はただ今連載中の「昭和天皇物語」で原作は2021年1月12日に亡くなられた半藤一利です。この中で、明治38年当時4歳だった迪宮(みちのみや)殿下、後の昭和天皇の養育掛となった足立たか(大正4年32歳の時、昭和11年の二・二六事件で撃たれた侍従長鈴木貫太郎の夫人となる)とのやり取りが描かれていました。その場面を紹介しますと、迪宮様が「初めて見る草だ…この草は何という?」「皇子(みこ)様、その草は雑草です。」「ザッソウという名の草なのか?」「あっ、違います!タカが間違っていました。雑草という名の草はありません。その草…どのような名の草なのか、あとでタカが調べておきます。」その後天皇になられても、この時のことをよく覚えておられたということです。さて、下の写真には紫色をしたサギゴケを中心に別の草もいくつか生えていますが、後ろに壁のごとく立っている板皿が写っています。信楽の土を穴窯で焼いた作品ですが、燃焼室の壁に立てかけて焼き、かなりの熱量を受けたことと立てかける角度をつけすぎたため、垂れてU字型になってしまいました。そのために焼けは非常に面白いのですが、当初の用途では使えなくなりました。