教室レポート

庭の作品 その14

小学生の頃、秋は運動会・冬は学芸会というのがありました。何年生の時かは忘れたのですが、学芸会で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩をワンフレーズずつ朗読したことがあります。その頃は先生から言われるままに暗記したものですが、今更ながらあの内容は何だったのだろうかという思いがあります。賢治は昭和8(1933)年9月21日に37歳で亡くなっていますが、「雨ニモマケズ」の詩が書かれた手帳は死後に発見されています。賢治にまつわる映画が5月5日から上映されるにあたり、4月にPRのために放映されていたテレビ番組の中で、出演者が実物の手帳を拝見していましたが、現在ご遺族の子孫が大事に保管されているようです。黒革の表紙でサイズは約13×7.5cm、全166ページのうち10ページにわたって鉛筆で書かれ、病床にあった昭和6(1931)年10月上旬から昭和7年1月頃まで使用されたようで、「雨ニモマケズ」の右上には「11.3」と記されています。賢治が望んだ生活というのは、健康な身体をもち健全な心を宿すということであり、周りの人のためにした奉仕活動を除けば江戸時代の禅僧良寛にも似た生活が浮かんできます。詩の中には「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」の一節があり、また「ミンナニデクノボートヨバレ」ることを望んでいます。行動としては利他の実践でありますが、「デクノボー」と呼ばれていいという「デクノボー」(木偶の坊)とは、操り人形で役に立たない人のことを言うようで、普通ならそう呼ばれると怒りすら覚えるのでしょうが、賢治は喜んで受け入れていたようです。賢治の場合法華経に基づいた実践生活であり、次のようには考えていなかったと思いますが、見方を変えれば操る主体があるわけで、その絶対存在に身を任せきることができるなら何と幸せなことでしょうか。

今回の写真は、朱色の花をつけているヒメヒオウギの隣にあるあまり大きくない作品ですが、「庭の作品 その13」で少し触れた、目に見えないものを視覚化することを考えていた時期の作品が原形です。下の写真に写っている作品は1987年に制作し、翌年の倉敷美術展に出品したものです。大きくうねりながら上昇していくエネルギーを表現しています。その後エネルギーをテーマにした作品を数点作っているのですが、今回の写真の作品は2001年に制作しています。この頃制作したものは一定の技法によるもので、一度上に伸ばしてできた形を途中で切り離し、軸をずらして再び接合したものです。絵画においても、物理的でも視覚的でもいいのですが切断して再構成するとそこに空間が生まれるように、焼き物でも物体に動きが出てきます。